洋裁のアトリエで修行三昧をした街に出かけて

田園調布

洋裁を自宅で学べる「ずぼらでパリコレ」オンライン講座とは

洋裁を自宅で学べる「ずぼらでパリコレ」オンライン講座とは

こんにちは。「ずぼらでパリコレ」洋裁が自宅で学べる一年講座の小川タカコです。

ケンボロでのDVDマニュアルが完成し、様々な運営の作業をしている昨今であります。

アパレルブランドからサンプル専門のアトリエに転職した理由

先日、たまたまな機会がありまして、修業をしたアトリエのあった田園調布へ行ってきました。
私は文化服装学院を卒業後、池袋にあるフォーマルドレスのアパレルに就職しました。

デザイナーのセンスは皆無なので、パタンナーを目指して、就職先ではパタンナーの下の部署、縫い代付けとサンプル出しのお仕事をしていました。

その仕事をするうえで、サンプル屋さんへどのように説得する型紙の補佐を書き込むかを日々、追及して、型紙にマンガの💭のように囲って、作業ポイントを書くようにして、電話応対も私がサンプル屋さん担当になったころ。

自分で縫ったら、この工賃をがっぽり稼げるんじゃないかと考えだしたらキリがなくなって、最終的に転職に至ったわけです。

その転職先が、田園調布にある小さなアトリエでした。

サンプル専門のアトリエでの仕事のノルマ

縫い子は、私を入れて7名だったか。
女性の社長が、裁断を全て行い、縫い子は裁断した生地と、付属一式をもらって、接着芯を貼るところから全工程を自分一人で縫うシステムでした。

洋服というのは、縫うことが趣味の方には今更ですが、ミシンで縫っても着れません。
裾をまつり縫いをする「裾上げ」と呼ばれることとか、ボタンやカギホックを付けたり、様々な手仕事があります。

アトリエでは1日にスカートならば3着。ジャケットなら1着半。ワンピースは2着などノルマが課せられていました。

最初はファスナーも縫えないほど、使いものにならなかった私ですが、半年もするとそれなりに縫えるようになってました。
毎日毎日、縫う事だけに集中して、今では考えられないような荒さで、着数をカウントしていましたが、ノルマには全く達しません。

アトリエにあった機材と、仕上げの手縫い

そのアトリエには裾を上げる専用のミシンさえ、設備がなく、アイロンはベニヤの板に生地を置いただけの簡素なもので、家庭用アイロンでした。

接着するのも専用の接着機でやると早いのですが、カラー展開で2~3着のサンプルを、接着する手間も時間を取られ、接着してから見返しの形に裁断が済むまでは一苦労なのです。
そして一番厄介なのが、仕上げの作業です。

スカートでカウントして、どれだけ早く仕上げられるか、タイムアタックして秒で測るように必死で集中しても、1着のタイトスカートで40分を切ることは出来ませんでした。

手でまつり縫いをするのは、本当に大変です。
織り糸の1~2本を丁寧に針ですくって、奥まつりとか指定された日には、もう泣くしかないというか。

 

怒りのエネルギーは奮起の燃料になる

私は23歳で結婚を機に、工業用のミシンとロック、アイロンをローンで購入し、独立しました。

接着する芯貼り機を買ったり、裾まつり専用ミシンを導入したり、バキュームというアイロン台と、蒸気をため込むボイラーを買ったり、出産とマンションローンがあっても機材を導入することは可能でした。

アトリエでノルマが達成できないと、落雷のように社長から叱られていました。

ですが、自分一人でも機材の導入が出来ると、縫うスタッフが7名もいたら、あっという間に機材の導入した損失は、縫える枚数が劇的に上がって、元も取れただろうにと独立してから感じることが多くありました。

思い出しては数を数えて憤慨したり、その怒りを利用して、奮起するエネルギーにしたものです。

田園調布 駅前のお店

田園調布の駅前のお店の壁です。
牢屋みたいな…^^

 

田園調布に行くと足がすくんで緊張しました

田園調布駅

私は過去に住んだところとか、勤務地など訪問する機会はほとんどありません。
用事がないと出かけることがないし、あまり振り返らないので過去の場所は行きたくなかったりします。

そういう意味で、田園調布の駅に行く機会は、今まで全くありませんでした。

田園調布の駅前の放射線状に広がる銀杏並木を歩いて、7分くらいのところのマンションの一角がアトリエでした。
駅を降りて、放射線状の並木道を見たとき、緊張が襲ってきて足がすくみました。

アトリエまでの道はハッキリしているのに、邸宅が続く風景は記憶になくて、こんな家があっただろうかと見知らぬ街のようでした。

アトリエがあったビルは、建て直したのか、外壁とアトリエに入るための外階段を潰したのか、知らないビルになってました。

記憶が抜け落ちていることに、軽く衝撃を受け、数日かかってFacebookに投稿しました。

お友達が気遣ったコメントを入れてくださって、私は自分の気持ちを見つけることが出来ました。

 

技術を身に付けたくて勤めたアトリエを辞めた理由

忘れたわけではないですが、記憶を封印していたアトリエを辞めた心の傷に触れて、緊張していたのです。

当時、1日に3着ノルマは誰も達成することは出来ませんでしたが、2着くらいは余裕で縫ってました。
来る日も来る日も、縫うことに費やす日々ですが、先にも書いたように仕上げの手縫いで時間がとられてしまうので、家に持ち帰ってまで。手縫いの仕上げをしていました。

もちろん、表向きは持ち帰り禁止ですが、社長が知らない訳はありません。

終電のギリギリまでアトリエのミシンで縫い、手縫い作業のために持ち帰り、夜なべをして完成させ、朝早くに出勤して夜のうちに出来ていたかのように、次の服に取り掛かるので、常に寝不足で強い疲労との戦いでした。

 

サンプル縫製とは駆け引き

二年半も勤めたころ、社長が経営路線を大幅に改革する意欲を燃やし始めました。

私はその頃、ジャケットやコートなど、どんなものでも縫えるようになって、いっぱしの職人気取りでした。
今考えると、恐ろしいほどいい加減な仕事をしてましまたが、その頃は腕がいいと思い込んでいましたし、作れば売れるバブルの頃だったので、質よりも量だったのです。
渋谷カジュアルなど、ビニールのような素材でライダーズジャケットを作ったり、とんでもないものも多くありました。

余談ですが、ビニールとかエナメルなどの針の穴が傷になる素材では、ステッチを縫い直すことができません。
針の傷が凸凹と傷になってしまうため、一発勝負ですし、ビニールは滑らないためミシンの押え金の下で、歪み引きずられ、交通事故のようになるので、実に苦労しました。

生地の下に紙をはさむといいいとかいいますが、それほど万能ではないです。
紙が悪さをすることも多いからです。

アトリエでは自分で仕事を選ぶことが可能でした。

裁断が済んだサンプルを袋に戻し、山のように積んであり、その中から自分が出来るものをチョイスして、縫うスタンスでした。
ただし自分で選んだら、完成まで誰も助けてくれません。

自分の力量を推し量りながら、先輩や同僚に「好き勝手に、やりやすいものだけ選んでんじゃねーぞ」と怒られない程度に、
難しいのにしたり簡単なのを必死で確保したり、それこそ駆け引きの毎日でした。

 

ぬれ甘納豆と働く意欲の根幹

そんなある日、社長から私は呼び出されました。

マンションの上の階にある社長の住まいで、1人で社長にお茶を勧められ、お茶菓子は濡れ甘納豆でしたっけ。

ぬれ甘納豆なんて食べたことがなかくて、甘いのは嫌いでしたが衝撃的に美味でした。

茶菓子で警戒心を緩めて、社長が切り出したのは、

「働く意欲はどこにあるの?」という質問でした。
それとない会話で気が弛んでいたのと、素直に家庭の事情で生活費を毎月7万円入れているのだと、話しました。

横浜の実家から田園調布までの交通費。弁当がないときに買って食べる費用。それを稼いで技術を身に付けたいから、いろんなものが縫える環境に満足していると正直に話したのです。

 

経営改革で歩合から給与制に

課せられていたノルマがあるように、当然、歩合制でした。
スカートを縫ったらいくら。ワンピースならいくらと、決めた額があったのです。

残業して夜なべをして交通費も出なくて、月に12万とか、多くて14万とか、やってられないですが、その為に心身を削っていたのです。
ある日、出勤すると社長から歩合から給与制に変えたと告げられ、明細を見ると私の給与は7万ちょっとでした。

家に入れなくてはならない生活のための費用もない上に、交通費も自己負担で、7万ちょっとでは生きられないと憤慨し、同僚や先輩と比較して、自信の評価の低さにその日のうちに辞めました。

田園調布は、その時の絶望が、そこここに残っているように感じられて、私は激しく緊張していたんだとFacebookに投稿してコメントをくださったお友達のご指摘で気が付けました。

田園調布 銀杏並木

 

服作りは工程が長くトラブルは苦しい

服を縫うのは、とっても工程が長いです。
一人で縫い上げるために、苦手な部分も乗り越えなければならないし、苦手な生地だったり、条件が劣悪になったり、トラブルがしょっちゅう起こります。

ミシンに向かい続けるには、強い気力が必要なので、気丈な性格の人が多いと私は感じます。

ミシンで縫う作業は創作ですから、生地や型紙(パターン)から感じ取って、作品に活かすアンテナの感受性が発達します。

感じる神経が発達するのに、トラブルがたくさん起きると、心は痛みを感じているはずなんですよね。
不具合が起きるたびに、心が受ける傷、期待したのに手に入らないモノ。

苦しさを人一倍強く感じていませんか?

本当は叫びたい、救援や援護を願う気持ち。
でも縫うのは自分でしかないから、その声にならない声を押し殺して、傷に気が付かないふりをしてないですか?

私は傷を強く毎回感じる質でしたから、縫っている時に苦しんだことを忘れられないです。
辞めたことのショックは忘れていても、ミシンが上手く働いてくれなくて、ざっくり傷がついてしまった生地を前に、どうしたらいいんだろうと追い詰められた、どこにも逃げ場がないあの感じを忘れられません。

 

洋裁は根性論ではなく、理論

自分は適してないのではないか。
才能がない。
失敗する自責。

狂おしい気持ちを、乗り越える孤独さは、言葉に出来ないです。

そうするうちに、洋裁には理論があることに気が付きました。

洋裁は、何が何でも作りぬいてやるという根性論では、太刀打ちできない理論があります。

アスリートで言うなら
スタミナやフォームなどを理論的に改善するのと同じように、

縫うための理論がしっかり理解して縫うための準備をすることです。

むやみやたらに枚数を縫うだけの捉え方では全く違ってきます。

キレイに縫う方法ではなく、その形にするためにどんな準備で、どのようにハードルを越えるのかのフォーム、そして着地の場所など緻密に計算している選手が勝利するようにです。

 

洋裁での失敗は、単純に枚数を縫うだけでは成功につながらない

私は知っています。
服を完成させられないかもしれないと追い詰められた時の絶望や、自分で考えられる精いっぱいを試しても、縫えない時の残念な気持ち。

こういう出来上がりにしたいと思い描いたのと、完成との落差に、凹む思い。

その全ては成功の為の情報なのですが、単純に失敗は成功のもとにはなりません。

ハードルをいくら飛び越えても、コーチがいなかったり、コーチが自分と合わなかったら能力が開花しないように
あなたの失敗の原因を理論で理解することができないと、単純に失敗した時間を費やしただけです。

私は今も教材作りに苦しんでいます。
難しいものをお伝えしようとすればするほど、言葉の限界があり、撮影など被写体の限界があり、どうしようもない焦燥感にあおられ辛いです。

でもあなたがミシンを前に、無力さに打ちひしがれることを考えると、どうしても私の頭の中にある情報を形にしてお届けしたくてたまらなくなります。

気丈なあなたなら、かすかな光からご自身で答えを導き出せる力を養ってくれると信じています。
あなたが必ず乗り越える日が来るのを知っています。

あなたに必要なのは、その場でちょっといいかなと感じるような小手先の方法ではなく、具体的な理論です。

理論は具体的でなければ役に立ちません。
角にするには、角になる仕組みにしましょう。

滑らかに縫うには、滑らかなカーブで縫いましょう。

その為に具体的に何をしたらいいのか、それをお伝えするのが洋裁が自宅で学べる365回講座です。

講座では触れられない深いところまで掘り下げて、難しいけれども苦手じゃなくなるためのツールがDVDマニュアルです。

今回はあまり時間がないので、書きなぐってしまいましたが、私がお伝えしたいことをご理解くださったら本望です。

どうか本で悩まないでください。
独学でどうにかしようと、考えないでください。

具体的に理解が出来ると、洋裁はすごく楽で、自分で方法を生み出せるようになる楽しい世界です。

イラストやテキスト、その場のお教室では習えない理論をもとにした縫い方を知って欲しいです。

田園調布の、当時の面影がほとんどないおしゃれになった駅の周りを歩いて、苦悩した頃の思いが切実に思い出されました。
機材も必要でしたが、理論を知っていたら、しなくていい失敗が山のようにあったのです。

あなたに時間の無駄をさせたくない一心で、教材を作っています。
どうか、受け取ってもらえたらと願ってやみません。

 

アボカドサンドイッチ

先輩や同僚と食事をしたりしたくても、お店もなかった田園調布の駅前は、いろんなショップがあり、高いですが食事をする場所に困らなくなっていました。
働いているときに、もしこんな風だったら会社のみんなと楽しめたりして、絶望も少なかったかなと思ったり…。

おしゃれな街は、楽しい気持ちで訪れたいですね。
今度は、気持ちをスッキリさせて訪問します。

長々とお読みくださって、感謝いたします。
あなたのミシンlifeが自由自在な楽しい世界になりますよう、祈っております。

3 件のコメント

  • 私も、36年前に文化服装学院を卒業して原宿でサンプル縫いの針子をしました。
    九州から上京し、月収8万円はかなり苦しい状況でした。
    挫折して、帰郷した時の絶望を思い出しました。
    今は別の仕事をしていますが、出勤前の2時間程ですが洋裁を楽しめる様になりました☺️

    • kunieさま
      コメントいただきまして、とても嬉しいです。
      そうでしたか、原宿で!
      田園調布のアトリエも、その後原宿に移転したような噂だったかと思います。

      上京して原宿に通える場所に住む費用をねん出するには、月収8万では苦しいでしょう。
      私は計算したら32年前でした。

      サンプル縫いで絶望する気持ちを語れるなんて、思ってもみなかったので、とても嬉しく感じています。
      ありがとうございます。

      私は朝が弱くて、出勤前に洋裁をするなんて全く無理ですが、お仕事の前にミシンを動かして楽しまれているなんて、尊敬です。
      九州は被災でこの夏は大変だったのではないですか?
      お大事になさってくださいませ。

  • 小川先生
     涙なくしては読めませんでした。時代といえば時代でもありましょうが、深いふかい心の傷・・・
    言葉がありません。 やめられたときは よかった~と 声にでました。

    後半の 教材にかけられる思いがとてもよくわかりました。
    素人の私がジャージで苦しんだことが
    そのまま先生の文章であらわされていて 感動もいたしました。
    いまだに あのジャージはもっとパターンを練り直しもあるな~と考えています。
    (そのうちに写真を投稿できたらいいのですが)
    あんなに苦しい思いをして縫ったことはありませんでした。 半泣き 焦燥 あきらめ・・・
    根気だけではのりこえられず つくづく孤独な作業でした。
    しかし一つでも 乗り越えられたら(自己満足でも)また進む勇気気力がわいてきました
    ただ 動力ミシンだけでジャージを縫うのは無理があるので 3本ロックを買わなくてはと
    虎視眈々です。

    一生の友人となってくれた洋裁 そこまで導いてくださった先生に感謝です。
    現在は生活が急激にかわり、時間が足りないだけでなくストレスもおおくなりました。しかしそんなときこそ
    洋裁です。縫うところまでいかなくても 型紙見直したり ノート整理しっているだけでも気分転換になります。
    むつかしい縫物に挑んで疲れた時は、ちょっと気楽なおうちぎをのびのび縫うのも楽しいものです。

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