あなたは大切な人に「早く服を作ってくれなきゃ死んじゃうよ?」と言われ死なれたいですか?

アパレルの裏話

睡眠は通学の電車内だけの珍事件

横浜から東京に向かう満員電車では、ぎゅー詰め状態なので、半分寝ていても
誰かが支えてくれなくても立っていられたからです。

膝カックンは日常茶飯事でした。

あるとき私の前で座っているおじさんが、新聞を読むのに前かがみになっていたことがありました。

なるべく座席の前に立たないようにしてましたが、たまたまのタイミングで押されて、座席の前になってしまったのです。

睡魔は当然激しく襲ってきて、

つり革から睡魔で手が離れ、

重力でブーーンと手が下に下がる!

結果として、おじさんのバーコードの頭頂部を、

手と腕の重さ、

肩に引っ掛けているバッグの重さもプラスして、

強烈に手刀で打ち据えてしまったことがあります。

あれは痛かった。。。

周りは爆笑。
おじさんは真っ赤になり体を震わせ激怒しまくり。

私の恥ずかしさもMAXでしたが、そんなことより眠くて恥ずかしさすら眠気を覚ましてくれなかったです。

つり革から手が離れる事、その後も数回。

おじさんは危機を感じて、座席の背にちゃんと座って危険回避してました。
うん、それでいいんだ。

おじさんだって痛かったとは思いますが、満員電車の座席に座って、前かがみで新聞を読んだりしてなきゃ、つり革から離れた手が頭頂部に激突することはあり得ないですよね?

というか、若い女がそこまでフラフラになっていたら、誰か席を譲れよ。

毎日見かけるフラフラ女だから席は譲らないか?

私の頭には、もう一生席に座ったりしないので、どうか行きと帰りに席に座らせてくださいと、真剣に神に祈ってましたっけ。

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私は大いなる存在を信じています。

でも大いなる存在にとって、私は駒のような小さい存在でしかなく、試練に立ち向かう力を失速したら見放されると考える方なので、祈ったくらいで叶うなんて考えたりできないです。

学費滞納で休学に

文化服装学院は2年で卒業できるところを、
学費滞納にて2年の前半の単位を取れないまま休学しました。

単純に親が滞納している事実を教えてくれなかったため、学校側から通告されるまで知らなかったのです。

試験を明日に控えバイトから帰宅した私は、話があるからと親に引きずられるようにして、とんでもないことを聞かされました。

「学費滞納のため、明日からの通学はまかりならん」と、通告が来たんだそうです。

文化服装は金に厳しい学校ですが、やりますなぁ。
完全にグレーじゃないですか。

試験前日に、登校禁止の連絡

本人を呼び出して、休学せざるを得なくなるから何とか対処せよと

執行猶予を与えて宣告してくれればいいのに。

  • 試験は受けさせない。
  • 単位も当然やらない。
  • でも授業を受けた半期分の授業料は加算する。

さすがです。

翌日に大急ぎで学校に行きました。

事務所でなんとか、お金を集める時間をもらえないか交渉したんです。

頭を下げても断固として突っぱねられ、1日だって譲ってくれません。

その日中に50万を超える額の資金調達を求められました。
完全に敗北です。

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自分で資金調達するのは不可能だと感じました。

今の新宿の南口から文化服装学院までの道は、ものすごく美しく学園の一部のように広くなって、美しい歩道が広がっています。

当時はホームレスの人があちこちにいて、すれ違う時の匂いが、自分の家族の未来を見るような気がして、精神的に辛かったです。

すごすごと帰宅するときも彼らの横を通り過ぎ、このまま負けたら同じように道で寝るようなところまでも落ちていってしまうんじゃないかと、恐ろしかったです。

バイトを掛け持ちで授業料を稼ぐ

真剣にバイトを探すことにしました。

親がすでに親戚知人から借金しまくって嫌われていたので、私の学費の借金を申し込む当てがなかったんです。

授業料を稼ぐために今度は、早朝から夕方までバイト、夕方から深夜までバイトの掛け持ちをしました。
実働で19時間くらいでした。

半年で1年半の学費を稼ぎださなきゃなりません。

1年分の授業料を稼ぎ、通学しながらバイトにせっせと通って、交通費と教材費を工面しました。

夏休みは朝から翌朝まで働き続ける荒業を加え、どうにか卒業までこぎつけました。

が、就職の時は非常に難儀しました。
休学した上に、疲労で朝が起きれないため遅刻が多すぎ。

そんな問題が多い学生でも雇ってくれるほど、バブルな時代は終わっていたからです。

やっと就職したアパレルから、縫い子に転身したため、またまた生活が非常に綱渡りになりました。
アトリエに修業時代のお話はこちら

仕事先に親から呼び出しの電話

社長の激怒の落雷を何度も味わいながら、それでも自分のスキルを上げるために必死で生活していた頃です。

22歳の真夏のような暑い日が何日も続いた5月の終わりでした。

勤め先のアトリエに、自宅から電話がかかってきたんですね。
そんなことは今まで一度もなかったし、ありえない状態に面食らって電話に出ました。

「とにかく大変だから渋谷まで今すぐ来い!」というんです。

社長もびっくりして、「何か切羽詰まった様子だから早くいきなさい」と、仕事をやりっぱなしのままでの早退を許してくれました。

待ち合わせ先では…
  • 伯母が孤独死していたこと。
  • 死後1週間以上が過ぎ、異臭がすることにご近所さんが気が付いてくださり、
  • 警察が変死として遺体が回収されたこと、
  • 親戚が集まり、検視の結果を待っている状態だということでした。

頭をぶん殴られたような激しい衝撃を感じました。

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コメント

  1. 本田建也 より:

    タカコさん、いつも動画ありがとうございます!タカコさんが、いつも失敗から学ぶことが多いとおっしゃるので、なぜ、この人は、成功例だけを見せないのか、伯母さんの死の失敗と、ご自身の人生で、辛い思いをされていたから、なぜ失敗するのか?という意味を大切にされているのが、分かったような気がします。私も、中学生3年生の頃から、過敏性大腸症候群という、ストレスで、便秘と下痢の繰り返しで、少し不登校気味になりました。高校に進学しても、1学期しか通えなくて、精神的不調を今でも、抱えています。お薬を飲んで毎日を過ごしています。20代後半から、光線過敏になり、急に暑くなるとサングラスが必要になります。肩から息をして、疲れ果てしまいます。今の福祉の職場は、私の人生で1番長く続けられた職場です。8年目です。裁縫に出会えた職場です。私はその裁縫で型紙を作りミシンで縫っています。殆どの工程を私1人でしています。裁縫を教えてくれた先輩は、精神的不調で長期休暇です。帆布製品は、全て自分の、アイデアを形にしたものです。互いに辛い経験をして、昭和っていう時代は、辛い経験をたくましく生きた人々が毎日の生活の中に沢山いる時代だったなぁと思い、今の成功は、多くの辛い経験をたくましく生きた人々が掴んだものだと、遅咲きの自分は、思います。貴重な体験を聴かせて下さってありがとうございます!

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