こんにちは。「ずぼらでパリコレ」洋裁教室や独学でお悩みの方に最適な24時間自宅で学べる365回講座の小川タカコです。
梅雨の季節になりましたね。
今日は6月になると思い出す、とても悲しかったことを書きます。
ちょっと内容が強いので、人の生き死に関係することが苦手な方は、読まないでください。
- 「早く服を作ってくれなきゃ死んじゃうよ?」
- 私の子供時代は愛も金もない劣悪な状況でした
- 超LLサイズの伯母からとても可愛がってもらえ精神のよりどころに
- 文化服装学院に入学して
- 睡眠は通学の電車内だけの珍事件
- 学費滞納で休学に
- バイトを掛け持ちで授業料を稼ぐ
- 仕事先に親から呼び出しの電話
- 伯母と交わした最期の会話
- 超LLの服を縫うゆとりがない
- 持病がない伯母が突然死するなんて想像もしてなかった
- 伯母の葬儀で…
- 伯母のクローゼットは空っぽだった
- もし戻れても、私には同じ結果しかできない
- 私が、みなさんに言いたいこと
- なぜ縫える人が少ないのか=服飾産業が衰退したから
- スピードを劇的に上げないと食えないと覚悟せざるを得ない事態に
- 親の支援が必要じゃなくなった時、父は末期がんでした
- 母と私は相いれないものがあった
- 金の切れ目は縁の切れ目
- イッセイミヤケの工場がある宮城へ移転しようと決心
- 縫う時間に費やすのは人生の損失
- 美しく早く縫い、完成度が高い作品は喜ばれる
「早く服を作ってくれなきゃ死んじゃうよ?」
孤独死した伯母と最期に交わした言葉です。
くも膜下出血で孤独死してから、1週間ちょっと過ぎて発見された伯母のクローゼットは、空っぽでした。。。
私の子供時代は愛も金もない劣悪な状況でした
非常に貧乏な家庭で、父の甲斐性がいかに足らないかを、子供の私たちに愚痴り続ける母の姿に、結婚の意味も希望も感じずに育ちました。
父の家庭内暴力も、し烈でした。
何度も殴られ、白目の部分に出血したのも放置したので、私の白目は今でも赤いです。
結婚をしたのは23歳の時ですが、家族が暮らす生活費のATM扱いにされていたため、結婚するしか家から出る理由を認めてもらえなかったからです。
家を自分から出ちゃえばいいんだと知っていました。が、自分が金を入れなくなったら、高校の妹がどうするだろうかと考えると、実行できませんでした。
私の寂しい子供時代の境遇の中で、唯一の救いは、母方の大好きな伯母と、一緒に暮らしていた内縁の男性が非常に可愛がってくれたことでした。
伯母の他に、伯父夫婦にも愛してもらえた事は幸せでした。
父方の伯父や叔父のところにも遊びに行かさせてもらってましたが、生活のレベルが違い過ぎて、大きな敷地の部屋数や、生活感の違いに、ただただ唖然とするようなことが多かったような気がします。
超LLサイズの伯母からとても可愛がってもらえ精神のよりどころに
大好きな伯母は、とても太っていました。
4L~5L、もしくはそれ以上だったのかもしれません。
内縁の男性と仲良く暮らしていましたが、進行性の病気で私が小学校を出る前くらいに亡くなってしまいました。
伯母に7年過ぎても迎えに来てくれないと、しみじみ言われたことがあります。
文化服装学院に入学して
文化服装学院に入学すると知って、伯母はとても喜んでくれました。
- 文化服装学院に入学するんなら、私の服を縫ってくれるんでしょう?
- サイズが大きすぎて、オバサンっぽい服しかない。
- 早くしてね、オシャレな服を縫ってくれるのを楽しみに待ってるから。
文化服装学院の課題は、地獄のように毎日毎日積み重なっていくばかりでした。
私は交通費や教材費、食事代もすべてバイトでたたき出さなければならなかったからです。
疲労した体で徹夜に近い状態で課題を終わらせ、
学校とバイトの行き帰りの時間が睡眠時間というほどに切り詰めた生活に必死に食らいついている日々でした。
コメント
タカコさん、いつも動画ありがとうございます!タカコさんが、いつも失敗から学ぶことが多いとおっしゃるので、なぜ、この人は、成功例だけを見せないのか、伯母さんの死の失敗と、ご自身の人生で、辛い思いをされていたから、なぜ失敗するのか?という意味を大切にされているのが、分かったような気がします。私も、中学生3年生の頃から、過敏性大腸症候群という、ストレスで、便秘と下痢の繰り返しで、少し不登校気味になりました。高校に進学しても、1学期しか通えなくて、精神的不調を今でも、抱えています。お薬を飲んで毎日を過ごしています。20代後半から、光線過敏になり、急に暑くなるとサングラスが必要になります。肩から息をして、疲れ果てしまいます。今の福祉の職場は、私の人生で1番長く続けられた職場です。8年目です。裁縫に出会えた職場です。私はその裁縫で型紙を作りミシンで縫っています。殆どの工程を私1人でしています。裁縫を教えてくれた先輩は、精神的不調で長期休暇です。帆布製品は、全て自分の、アイデアを形にしたものです。互いに辛い経験をして、昭和っていう時代は、辛い経験をたくましく生きた人々が毎日の生活の中に沢山いる時代だったなぁと思い、今の成功は、多くの辛い経験をたくましく生きた人々が掴んだものだと、遅咲きの自分は、思います。貴重な体験を聴かせて下さってありがとうございます!